ポルトガルと日本 行ったり来たり

ポルトガルに魅了され10年以上。独立してポルトガル製品のインポーターになるほど、ポルトガルが大好きです。

ポルトガルの若き英雄といえば・・・


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明日は4月25日ですが、みなさんこの日は何の日かご存知ですか。
そう、41年前のこの日、
ポルトガルではカーネーション革命と呼ばれる無血革命が起こりました。
今日はこの革命で大事な役割を果たした、
若き英雄サルゲイロ・マイア大尉 (salgueiro maia)について書きたいと思います。
1933年以降ポルトガルでは、アントニオ・サラザールによるエスタド・ノヴォ(新しい国家という意味)という独裁政権がとられていました。サラザールは王政時代の財政を建て直し、圧倒的な支持を得て首相に就任しましたが、「国民同盟」という唯一の合法政政党を創立し、カトリック教会、ルシタニア統合主義者、ファシストなど右翼を結集させ、実質的に保守的な独裁制権を作り出しました。
1961年以降は、植民地であったアンゴラモザンビーク独立革命軍との激しい植民地戦争が続けられ、戦費が財政を圧迫し、国民の不満は募るばかりでした。
国家のお金を使い、なぜ植民地の人々の命を奪っていく戦争に行かなければいけないのか・・・
そんな中、1944年生まれのマイア大尉は、29歳という若さで独裁政権にクーデターを起こす「国軍運動」(MFA)の創立メンバーとし革命を率いました。
彼の真っ直ぐな行動は多くの軍人の心を動かし、特に若い兵士たちが支持し後に続きます。
マイア大尉は革命は無血で行われるべきだと常に主張し、無駄な争いをせず冷静に計画を進めました。
彼が欲しかったのは本来の意味での自由。革命後の地位でもなく、ポルトガルに自由をもたらしたかったのです。
1974年4月25日の明け方、革命を決意したMFAのもと、マイア大尉はリスボン郊外の兵舎で兵士を集めこう言います。
"Meus senhores, como todos sabem, há diversas modalidades de Estado. Os estados sociais, os corporativos e o estado a que chegámos. Ora, nesta noite solene, vamos acabar com o estado a que chegámos! De maneira que, quem quiser vir comigo, vamos para Lisboa e acabamos com isto. Quem for voluntário, sai e forma. Quem não quiser sair, fica aqui!"
(すでに君たちもわかっているように、この世界には色々な形の社会がある。社会主義、資本主義、そして私たちが今いるこの社会。今日、この静かな夜、私たちはこの社会を終わらせようとしている!私に賛同するものは、これから一緒にリスボンへ向かおう。無理強いはしない、行きたくないものはここに残るように!)
これを聞いたほとんどの兵士が、マイア大尉の後に続きました。
リスボンに到着するとすぐに要所を占拠し、MFAは当時の首相マルセロ・カエターノ氏に冷静に交渉を行っていきます。共和国警備隊本部に包囲された首相はその日の夕方には為す術もなく投降し、独裁政権は終わりを告げました。
マイア大尉は、
「このミッションに関わろうと決めたとき、どんなことがあっても最後までやり遂げる、まさに命を懸けて遂行しようと覚悟を決めた」と言っています。
まさに有言実行のヒーローですね。
このマイア大尉をテーマにした映画がこちら。(Capitães de Abril, 2000)
本語字幕があればいいのですが・・・英語も見つかりませんでした。雰囲気だけでも。
強い意志と信念は、多くの人の心を動かし勇気づけるんですね。
かっこいいです、サルゲイロ・マイア大尉!
では、皆さま良い週末を!